2022年4月9日土曜日

津田梅子(つだうめこ)

 

 津田梅子(つだうめこ)


1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1929年(昭和4年8月16日・64歳没)

女子英學塾(のちの津田塾大学)創立者であり、日本における女子教育の先駆者と評価される。

梅子は、父、津田仙(幕臣・東京府士族・下総佐倉藩出身)、初子夫妻の次女として、江戸の牛込南御徒町(東京都新宿区南町)に生まれた。 


梅子の父、津田仙について
津田仙は幕臣であったため、江戸幕府崩壊とともに職を失ったが、明治2年(1869年)に築地ホテル館でGM、総支配人として勤めはじめ、津田家は一家で向島へ移った。仙は西洋野菜の栽培なども手がけ、幼少時の梅子は手習いや踊などを学び、父の農園の手伝いもしていた。

幕末の1868年、築地の外国人居留地に開業した「築地ホテル館」
外国人のために建てられた日本最初の本格的ホテルといわれています。勝どき橋のたもと、現在の築地市場の立体駐車場あたりであったが、残念ながら銀座大火で焼失し、ホテルとしての命はわずか4年でした。
その後は「農業雑誌」の発行、農学校の経営にたずさわり、青山学院大学の創立にも携わった。

幼い6才の少女をあの時代によくアメリカに留学させたものだ、とよく言われますが、津田仙は佐倉藩の藩士として生まれ藩命でオランダ語と英語を学び、江戸時代には外国奉行の通訳となり、幕府の通訳としてアメリカにも渡航した経験もあり世界情勢にも通じていた。

 


つづく


















2022年4月4日月曜日

荻野吟子(おぎのぎんこ)、日本初の国家資格を取得した女性医師

荻野吟子は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家としても知られる。 なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住ほか何人かの女性医師が開業していた。西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネがいる。

 

埼玉県HP

荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。

 しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、制度改正に奔走しました。その際、「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。この「令義解」を校訂し、後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。

こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となりました。

開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。

映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」(出演:若村麻由美 )